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2019年8月19日(月)〜24日(土)まとめ [タイセツな話]

母が亡くなりました、記録として事実だけをメモしておく。

■8月19日(月)
19:00頃、そろそろ会社から帰宅しようかと思っていた所で弟から電話。実家の母が心筋梗塞で倒れたので来てくれとのこと、そのまま小田急に乗り小田原で待ち時間に夕食を食べてから新幹線に乗り換えて21:30地元の病院へ。ロビーに地元在住の従兄弟が待っていてくれたので集中治療室に入るが意識がないまま。父親が倒れるとマズいという事で自分と父親のみ23:00頃実家へ帰宅、弟はそのまま病院に泊まる。

■8月20日(火)
8:00から面会が出来ると言う事だったので支度をしている所へ病院から血圧が下がってきているので来て欲しいと言う事で父親と一緒に病院へ。9:00頃、少し意識が戻り問いかけにうなずいたり首を振ったりするが再び反応がなくなり徐々に血圧が下がってくる。東京在住の叔母も来てくれるが、そのまま静かに12:00頃他界。
父親と二人でお医者さんと面談をして経緯の説明を受けて病理解剖は不要と言う確認をする。その後、葬儀社に連絡をして14:00に迎えに来て貰う事になり、父親と叔母が母の着替えをとりに一旦自宅へ戻る。知り合いのお寺の奥さんも来てくれて暫く会話して時間を待つ。14:00頃、チューブを抜いて着替えをしてくれて軽く化粧をして貰った母を葬儀社の車に乗せて自宅へ運ぶ。
自宅に敷いた布団の上に母を寝かせて葬儀社の方から段取りや予算の説明を受けた後、会社に忌引きの連絡を入れるが自分の部署の庶務さんが不在のため代理の人から簡単に説明だけ聞いておく。たまたま玄関で会った近所のお姉さんに母がいるか聞かれたので事情を説明するといきなりボロボロ泣き出してビックリする。その後、父親の友人夫婦が2組やってきて線香をあげてくれるが、ちょうど葬儀社の人が棺を持ってきてくれたので友人夫婦と一緒に母を棺に収める。弟は水木と外せない仕事があるため、夕方日帰りで来てくれた弟の嫁さんと甥っ子達と一緒に一旦東京へ戻り、父親は軽くありものを食べ自分はコンビニのシューマイ弁当を夕食に食べてその日は就寝。

■8月21日(水)
朝食はありもののパン。午前中に葬儀社の人がドライアイスの交換に来てくれて、昼食は父親は買って置いた焼きそばを自分はコンビニでパスタを買ってきて食し、午後から父親は透析に出かける。その間、留守番をしているが先日の従兄弟が家族と一緒に来てくれて線香をあげていってくれる。庶務さんと連絡をして忌引きの手続きをお願いしてウトウトしていたら18:00頃父が帰ってくる。近所の蕎麦屋に夕食に出かけるが定休日だったため、その近くの鰻屋でうな丼をテイクアウトして自宅で夕食。その日はそのまま22:30頃就寝。

■8月22日(木)
朝食は相変わらずコンビニパン、昼食は父親は庭で採れたピーマンを入れた目玉焼きを作って食し自分はコンビニで何か買ってきて食す(覚えていない)。一旦喪服を取りに東京に戻りたかったが、最初日帰りで取りに行こうと思っていたが木曜日はある程度父親と一緒にいて、弟が帰ってくるのと交代で東京に戻った方が良いのと、かなり疲れており少し東京に戻ってゆっくりしたかったので泊まりで戻ることにする。結局二人でいても特にやることもないので14:00頃東京へ戻る。帰り際にコンビニで弁当を買って戻ってくるがかなり疲れていたようであまり覚えていない。

■8月23日(金)
お通夜は19:00からだが、父親が透析に行かないとならないため実家からの出棺が10:30。なので早めに着けるように東京のマンションを7:00に出発、9:00頃実家に到着するが葬儀社の人が早めに来たのでちょうど良い時間だった。先日の近所のお姉さんも来てくれて翌日の本葬儀は一緒にお寺まで行くことにして、家族はそのまま葬儀社の車でお寺に向かう。葬儀をするお寺でお通夜も行うのだが、父親は本日も透析なので一緒に病院まで行き隣の蕎麦屋で昼食を食べて待合室で少し話をしてからお寺に戻ってくる。午後は弟と二人でお寺で待機、特にやることもないのでスマホを見たりウトウトしたり。18:00頃、東京から来た弟の嫁さんと甥っ子たちが父親を迎えに行って一緒にお寺にやってくる。
19:00からお通夜開始。お経を読んで貰い焼香をするだけであるが、身内だけのお通夜という事で父親が挨拶と経緯を説明する。その後、来てくれた人を帰すためタクシーを手配して運転手にお金を渡して次々と参列者の帰宅手配。20:00頃ようやく落ち着いたのでオーストラリア在住の従兄弟の到着を待つため待機している叔母さん一家と、その日はお通夜会場に泊まることになった父親と弟を残して、自分は留守番と翌日近所のお姉さんを連れて行くため一旦実家へ戻る。ただ思った以上に出棺の時間が早かったので近所のお姉さんに時間変更を伝えて、その帰りにコンビニで何かの弁当を買って帰宅。

■8月24日(土)
近所のお姉さんが早めに来てくれたので8:30頃一緒にタクシーでお寺へ向かう。徐々に人が集まりだして9:15から出棺の式が始まる。父親が位牌を、自分が遺影を、弟が骨壺を持って残りの男性が棺桶を持ってくれて霊柩車に乗り込むが、全員は乗れないのでタクシーを手配して振り分けて乗って貰う。10:30頃、棺を釜に入れて待合室で昼食を食べたりし、12:00頃呼び出しがかかり遺骨を骨壺に入れる儀式開始。焼き場の人が骨の説明をしてくれるがそれって必要?
マイクロバスに乗りお寺に戻ってきて13:00本葬開始。父親が住職と兄弟弟子だったこともあり、身内だけの葬儀なのにお坊さん6人も集めてお経を読んでくれる。普段Tシャツと短パンでウロウロしている住職も立派な袈裟を着て別人のよう。本葬の終わりにお礼の挨拶を自分がやることになっていたが、葬儀社の人が準備してくれた原稿を棒読み、と言うか聞いた事もないような用語が並んでいるのでただ読むことしか出来ない。まぁこう言うのは形式なので別に崩す必要も無かろう。
1時間ほどで葬儀終了。来てくれた近所の人のタクシーを手配して運転手さんにお金を渡して帰りの手配をする。親戚達は簡単な祓いの席を予約したのでタクシーを手配して順次駅前のホテルのレストランへ向かう。15:00からと空いている時間だったため17人であったが個室に近い所を準備してくれており、位牌や遺影、骨壺も置いておくところも準備してくれている。祓いの席のメニューもあったのでよく使われるのだろう。ここでの挨拶は弟が行って会食開始、ここまで来ると普通の親戚の集まりなので普通に世間話となるがお疲れ気味なのであまり積極的に会話できなかったのが残念。
17:00頃、会食も終わり遠方から来てくれた親戚はそのまま駅に向かい、家族は諸々を持って自宅へ向かう。葬儀社の人が用意してくれた置き台に骨壺や遺影を飾り貰った花を花瓶に適当に入れてようやく全ての行事が終了。弟はもう1日泊まっていくという事だったので、弟の嫁さんと甥っ子達と一緒に東京に戻ってくる。
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怒濤の一週間であったが特に火曜日はあまりにも多くのことがありすぎて1日しか経っていないとは思えないほど。お通夜や葬儀や会食に何人来てくれるかを問合せ集計して、それぞれにタクシーを何台呼べば良いかを計算したり料金を準備したり、色々なお礼のお金を準備したり慣れない作業が立て続けにあったり、死ぬほど暑い中を慣れない喪服を着たりでかなり疲れた。本日1日休んで少し回復したが、思い切って明日も会社を休むことにして本当に良かったとホッとする。

母親が亡くなることは悲しいが、既に87才だし色々病気もしているので近いうちにそう言う事になるだろうなと覚悟はしていた。心筋梗塞なので気を失うように倒れてそのまま無くなったため苦しんだり痛い思いをしなかっただけ良かったと言うべきか。弟はややマザコン気味なのでかなり落ち込んでおり、落ち着いていた自分が逆に冷たい人間なのかと心配になるほど。

まだ母がなくなったという実感が沸かないが徐々に来るのだろうか。そして残った父をどうしようかと言うのが心配、弟はホームに入って貰った方が良いと言っているが父は古い人なのでそう言うのを嫌がるかも。そうすると自分が会社を辞めて同居すべきなのか…と考えると鬱がぶり返してきそう。
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